2012年1月18日水曜日

たかが音楽という勿れ

今日は阪神淡路大震災が起こってちょうど17年目である。私はあの震災、オーム真理教の狂気、小泉純一郎氏の「自民党をぶっ潰す」ならぬ「日本のぶっ潰し」政策、そして自民党の2世首相達?の失政、最後に民主党などこれでもかこれでもかと言うような政治が続き、今や世の中全体がきな臭くなっているように感じている。全体として閉塞感が長くあり、保守的になり、「誰かが何かをしてくれる」と言う期待感が「蔓延」し、大阪市長の橋下氏の笛が高らかに鳴り響いている。戦前のドイツのナチの台頭が思い浮かばされる。非常にいやな時代といえる。
 このときこそある意味では戦後の民主主義の嵐のような高揚を目の当たりにしてきた年代が立ち上がるときではないだろうか。もちろんその当時の制約、人々の認識の未成熟さから来る問題点もあったことを踏まえたうえで・・。
 例えば音楽一つとっても見ても、少し時代は少し遡るが、昭和天皇がなくなるとき、歌舞音曲が「自粛」という形で、街の中からいっせいになくなったことを思い出し、世の中から音楽がなくなった時、何か息詰るような感覚を覚えたのは私一人ではなかっただろう。たかが音楽と侮るなかれ!そこには音楽を通して(ダケとはいわないが)見事に世の中を操ってきた力があるように思う。

  さて、今日は音楽の「樂」、楽しい、樂だといったときに使われる樂という漢字について触れてみよう。

「楽」甲骨文字
「楽」小篆
乐は樂の簡体字である。甲骨文字の乐は一個の会意文字である。下部は木であり樹木の木を表している。上部は松である。松の木の果実いわゆる松ぼっくりの線描である。古代社会では毎晩夜になると、人々は相集まり祭り、食事、愛情の歌舞音曲を執り行っていた。そのような歌や踊りに欠かせないものは中央で松や柏の木々が燃やされたり篝火である。植物中只松や柏の木だけが枝や葉に油脂を多く含み、乾燥せずとも切って使用できた。且つ又松と柏の枝葉は燃焼するときバチバチと音を立て、踊りやその場の雰囲気を駆り立てた。このことはまた中国の爆竹の始まりでもある。その濃い煙の立ち込める庭である種のさわやかな香りが漂う。この香もまた中国の祭祀の中で用いられる線香のはしりとなった。このように「楽」は生活の源泉をなしている。


楽の字の原意は松明
金文の乐は甲骨文字の不足を補う形となっている。特にその字の上に追加された「白」という字で柏を表している。小篆は金文を受け継ぎ楷書では隷書化の過程で松ぼっくりの形は簡略化され、糸が二つになり樂と書かれ、更に簡体字の規則通り乐となった。

ここで中国の中央音楽学院の趙世民という先生は「探秘中国漢字」という講演の中で、この「樂」という字は楽器を表現したものだという説を唱えている。どうもこの説が中国では主流のようであり、分かりやすく、直感的であるにはあるが・・。
 いずれにせよ音楽とはこのようにして生まれたもので、上から鼓舞激励するために生まれたのではないのは確かなようだ。

 漢字の世界に限っていえば、このようにこの世界諸説紛々と行き交う世界である。しかしここでは諸説の真偽について議論する場にはしたくないしまたその力量もないので、まあそんな説もあるのかという程度に考えていく。
 われわれに必要なのは、このようなカオスの世界は漢字だけにしておき、新しい民衆の力を一つの大きな流れにしていくことだろう。

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