2011年10月22日土曜日

「孕」 この字を作った発想はすごい 漢字の由来


妊婦の腹の中に子を包んでいる様が形象化されて
いる。金文の中の下部の横線は懐妊中は性交を
禁忌すべきことを表したもの。

 「孕」と「身」はともに同じ由来を持っていて、甲骨文字では同じ構造をしている。従って「孕」という字は「身」の意味を持っている。即ち身重、懐妊の意味である。甲骨文字中で細かく描かれているものは、金文中の中では「子」の形は簡略化され一点になっている。また、下辺に加えられた横線は妊娠期間中は性交を禁じたものである。小篆の「孕」の字は体と「子」から構成されたものである。字形が整えられて、母親の腹の中にいる子供を強調したものである。

「孕」の本義は懐妊である。妊婦のことである。即ち懐妊した女性を指す。《説文》の解釈は、子を包むこと。《庄子・天運》曰く、妊婦は10月で子を産む。いろいろな事を発生することから、生育と似たように捉えて、いわゆる孕育の一語でたくさんの新事物が萌生・発育することを比喩している。例えば、雨は雲の中で孕育するとか新しい文化が旧体系の中で孕育される等など。
胎児は母親の腹の中にあって、自ら包含する意味から、いわゆる孕の字は包孕のように特に包含することに用いられる。

2011年10月20日木曜日

秋は収穫の季節 「米」と「糠」の漢字の由来と起源


  秋は収穫の季節。稲の穂がたわわに実り、田畑が黄金の絨毯の様を呈する時、古人(今も)神に感謝し、収穫の喜びを感じる。

  稲作が日本に伝わってから日本の文化は大きく変わり、縄文式文化から弥生式文化へと変貌を遂げる。今から約2千年前の出来事である。そして米を作り続けて、今日本社会は大きな問題に直面している。今「米」作りを根本から見直す時期に来ているのかもしれない。

甲骨文字の下半分は
横棒一と3つの点で「雨」を表す
    「米」の字は象形文字である。甲骨文字は上下6つの点は米の顆粒を表し、中の横線は風が吹きすぎたさまを表し、米と米ガラの分離を示している。また水の組成の(雨)をいう記号を用いることにより、区別する符号を当てている。小篆の米の字はまさに中間が上下に貫通し楷書の米の字に似たものに代わっている。



糠の字は会意文字である。古文字の中で康と書く。康の字は借用されて、安康、健康の康に用いられる。
(本来殻の付いた穀物は腐りにくく、比較的保存しやすい所から来ている)
 
糠の漢字の由来は「康」
   甲骨文字の康という字は中間部分は篩の類の工具である。上部の「子」は上に上げる意味を持つ。下の4つの点は扇ぎ出された米糠を表す。金文は大体甲骨の形に似ている。ただ篩の形に少し変形している。小篆の字形は篩が二分割され、上に上げた両手に代わっている。中の糠は米に代わっている。隷書を経て、楷書は只一つの字形を留保している。


2011年10月14日金曜日

冬という字は左の様な変遷を遂げている。その起源と由来は石をつなぎとめた形が冬の初めの形であることに少しも疑いはないようだ。冬の甲文の原型は一種の狩りの道具に由来があるようだ。はるか昔の先民は1メートル近い縄の端に石の球をつけそれから縄に着いたこの金槌を力任せに振り回して投げつけ、逃げ回る野獣の両足に絡みつかせて倒して捕獲したり、或いは群れをなして飛ぶ鳥に向かって投げつけ、両方の意思が旋回しながら飛ぶことで攻撃面積を増やことで飛ぶ鳥を補足し殺していた。

現在ではこの道具を連球と称している。当然この種の工具を使用する最もいい季節は冬である。白雪が土地を覆い、多くの木々の葉が落ち、身を隠す機会の少ない冬場には、この種の捕獲道具は遠くの距離の獲物を捕らえることができる。よって小篆の冬の字は下部に氷を表す2つの点を加えることで、これが凍りつく冬の地上で使える特殊な効能を表している。

 唐漢氏は、この甲骨、金文の冬の字を、女性の妊娠の終わりの意味が込められていると見る。甲文は胎児と胎盤がへその緒で繋がっている形に見える。胎児と胎盤が産門から出た後すぐに育て生むことを終結させる。昔の人にあっては、嬰児が暖かな母体の中から生まれ出た後、最初の感覚は冷たいということであったろう。

太古の先民は万物がきびしい中にあって、冬の季節の概念を獲得するのはきっと早かったことだろう。この時期は寒さと飢餓を伴っていた為に、この種の感覚はきっと鋭く深刻であったろう。而して明確なこの文字を用いてこの季節を表現するようになってきたと考える。しかしこれは少し後の事情かもしれない。


「三体石経」(冒頭のバナーの中で「古文」で表示)の中にある字を作っている。これは胎盤と胎児がつながっている図形の中に「日」を加え、冬を独立させ、冬は純粋に時間の概念となった。

小篆では、日がなくなり、氷の記号を加え冬の字の形が整えられ、楷書では「冬」となった。こうして冬はつくりが加えられ、一年の終わりを表している。

白川静先生は常用字解の中で、『象形。編み糸の末端を結びとめた形。甲骨文字・金文の字形は末端を結びとめた形であるが、後にその下に氷を加えて、冬となった。冬がその音を借りる仮借の用法で四季の名の「冬」に用いられるようになって、糸の末端を示す糸へんを加えた終の字が作られた。冬は終りのもとのじである。』と解説されている。

唐漢氏の解釈はいささか飛躍したものの様な感じがしないわけではない。一方白川先生の解釈では、末端を結び止めた形の字氷を加えて冬が出来た所までは理解できるが、糸をつなぎとめたものと冬とがどう結びつくのか、理解できない。白川先生はもう少しそのあたりを説明されているのかもしれないが、私の不勉強でそこまでは読み解けない。

2011年10月11日火曜日

秋の部首「禾」はいかなる出生の秘密

禾という字の甲骨文字、金文は皆熟した穀物の様である。下部は根、中部は葉、上部は一方に垂れた穀物の穂である。古文の字を作った意味は見て分かるように、穀物で、まさに完全な形状をなしていて、本義は穀物を表す。
説文によると、禾を解釈して、よく実った穀物のこと。二月に生え始め、8月に熟し、時を得るうち、これ禾というなりとある。

ここで禾は実際は粟のことを言い、粟を脱穀したもになり、これが古代では主食であった。これは猫じゃらしが穀物として成功したものだ。中国東北地方の旱作農業地域では主要な糧食であった。殷商の時代には広くいきわたり、産量が最大の糧食作物になっていた。秦の時代には禾は穀物を指し、もっぱら粟のことを指していた。それ以降粟は穀物産物の総称になった。
秋の字はこの禾と野山が黄色に染まって火のようになるということから造られた会意文字である。

2011年10月1日土曜日

秋はどこか物悲しいとよくいわれるが、実りの秋、収穫の秋、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋と巷では、およそ物悲しいという雰囲気と異なる言葉が飛び交っている。

 確かに秋の紅葉の美しさを歌い上げた和歌 「嵐吹く 三室の山の紅葉葉は 龍田の川の 錦なりけり」という歌には物悲しさは微塵もない。芭蕉の「秋深き 隣は何を する人ぞ」の俳句にもあまり物悲しさは歌い込まれていない。ではこの物悲しさは誰が言い始めたであろうが。少し後世になって、インテリゲンチア層が出現してからのことではないだろうか。

  さてこの秋という字は如何にして生まれたのだろう。
 秋の字は甲骨文字の中ではコオロギである。有るものはキリギリスの形という。その発音はコオロギの鳴き声にたとことから来ている。図の示すところによれば、その形はこおろぎの非常によく似ている。発音は鏡像を組み合わせたような前脚と、形のはっきりしている2つの長いひげと強い後ろ脚など、本当に古人の絵の天才ぶりには驚かされる。このことから、我々は一歩推理を進めざるを得ない。殷商の民族は蟋蟀を闘わせるのを好んだのだ。

 この文字を見たとき本当に面白いなと感じ入ってしまった。このじっくりと見た観察眼とそれでもって秋を表した生き生きした感性が伝わってくるようでうれしくなってしまった。

 しかし少し後世になると、この直接的な感じ方が少し異なる方向に向くようになった。おそらく農耕の発展が跡付けられ、秋はそれとの関連で捉えられるようになったといえる。金文から小篆への文字の変化には古代の人々の認識の変化が文字の変化となって現れているように思える。

 間違いなく、秋は収穫の季節であり作物は黄金色を呈し、あたかも火が燃えるがごとくである。この為秋は火と禾で構成される原因になった。「野客丛談」曰く「物熟すを秋という、秋は収穫の意味である」。秋の字のはじまりは相互にかみ合うことであり、勝者は得意に鳴き、敗者は逃げていくコオロギである。但しとどの詰まるところ、秋とこの時節の概念の発生は強い関係があり、農作物が成熟し収穫のあり様を示している。

 この忙しい世の中で、少し頭を休めて蟋蟀の音に耳を傾けて見られてはどうだろう。しかし多くの都会人にはそのような自由も許されていないかもしれない。

 その様な方々に一句献上しよう 「コウロギも 田舎も遠く なりにけり」 (白扇)

 所変われば品変わるというが、この甲骨文字の解釈にもいろいろな解釈があるようで、ある人はこれはコウロギではなくて蝗だという方もおられる。そして蝗の食害を防ぐ目的で、蝗を焼いて儀式をしたという解釈である。確かにこの解釈も十分ありうると考えている。