2012年8月12日日曜日

権力の象徴としての「宮」が世に現る。 その起源と由来


  今日は漢字の「宮」について触れる。「宮」は皇帝の居室とされるが、それは「堂」と呼ばれるよりもはるかに粗末なものである。なぜだろう?その一つの理由は、時代が堂の方が下っているのかもしれないということと、「堂」は神の住まいとして権力の象徴として公に誇示しなければならなかったのに比べ、「宮」は皇帝の私的な目的である居室として使用されたことが二つ目の理由ではなかろうかと考えている。
 殷の時代には瓦ぶきの立派な建物が作られており、ここで言及する建物はいくら私的に利用するといえ、時代的には大分遡らざるを得ないと考えている。さらに調べてみたい。

引用 「汉字密码」(P720, 唐汉,学林出版社)


 高さ1メートルプラットホームの上に位置した「宮」

 "宮 gong" は、会意文字である。甲骨文の "宮 " 文字は、その上は家屋外形の "∩" 、さらに内側には二つの口の字があり、これが多くの部屋が並んでいる建物を現わしている。安陽の殷墟の発掘の際に、長さが 28 米、縱 8 米の建物の土台を発見した。それは足場が繋がった高さ1メートルプラットホームの上に位置して、屋根は三十一本の木柱によって支えられて、二つの大きい使用区に仕切られていた。宮、かもしれない、この列部屋の描写の図である。

 金文の "宮 " 文字は金文を受けて、ただ一対の口の配列を上下の組み合わせとした。  小篆の "宮 " は二つの対の口を短い竖線で接続して、二つの部屋が通じ合うことを示し、その上部には一点が追加されて、まるで建物の屋根の背の棟の形を補充しているようである。楷書で"宮 " と書く。

 "宮 " の物象本源は部屋が多く並べられた大型の平屋である。 

 "宮 " の物象本源は部屋が多く並べられた大型の平屋である。史載、先秦では無論、居住者身分の贵贱、家屋の大きいものは、全て宮と称することが出来た。しかし秦以降は、"宮 "は王封建帝が公事と居住の場所と専ら指定した。例えば "阿房宫、乾清宮、故宮"など。古人は神様の廟は人の為の居室と比べはるかにきらびやかで寛大で、その中また居住している神霊はきらびやかだ。だから、廟宇も "宮 "と称す。例えば "紫薇宫(百日紅宮)、雍和宮 "など。

  現代はまたわりに大きい公共文化娯楽の場所を"宮 " と称している。例えば "少年宮、文化宮 " など。 

 "宮刑" は男を生殖器を去勢する刑罰 

 "宮刑" 、は古人の淫乱を懲らしめたりあるいはほかの犯行に対する一種の刑 :女幽を宫室の中おしこめ、永遠に男をみることを禁じる。男の場合は、生殖器を去勢して、永遠に女性を親しむことが出来ないようにする。西漢の武帝の時、李陵の為を少し庇っただけの理由で司馬遷は、宮刑に処せられた。彼は《報任安書》の中で、悲憤の内に書いた "膨大な宮刑の話をしている。(この刑は男にとって何よりも屈辱であったようだが、時代が下れば、刑罰ということではなく、自ら宦官になるため施術を行うものも現れた。それでも、宦官としての地位は低く、その地位に陥ったものは、皆ある種の劣等感に苛まれていたようである。そのあたりの事情はNHKのドラマ「蒼穹の昴」に詳しい。宦官もその任を解かれたりしたものは、自分の「お宝」を買い戻すこともあったようだ。 補足:筆者)

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