2015年12月13日日曜日

来年の干支は「申」


  来年の干支は「申」である。今から3500年前の殷の時代の廃墟から出土した甲骨文字の中に、すでに十二支十干で暦を表していた。干支についての考察はすでに以前に触れているのでここであえて触れることはない。
 古代の人々が農耕のために暦を作る必要に迫られた時に、何をよりどころにするか?唐漢氏が主張するように、自分たちの身の回りで繰り返される人が生まれ成長し、それに何を期待し願うのかの思いをそこに込めてそれをよりどころとする説はそれなりに説得力がある。それはあくまで仮説であって、諸説紛々としているのは事実である。
 しかし彼らは何故を持って十二支としたのか、まだ明確な回答は示されていないように思う。一年は12か月、そして子、丑・・という字を当てはめ12年で循環させたその理由はいったいなぜだろう。子という字に鼠を当てはめ、丑という字に牛という動物を当てはめたのは、文字の読めない人々にも理解しやすいように動物の名前を当てはめたというのは理解できる。
 来年の干支は「申」であって、「猿」ではない。では古代人が申としたその字はどういう意味を持っているのだろう。



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 申という字は指事語である。「申」の字の構造的な形は、女の嬰児に対する期待から発生したものである。 甲骨文字の「申」の右半分は (匕)で、これは即ち、母獣の生殖器の指事造語である(漢字源によると「匕」は妣の原字で、もと、細い隙間をはさみこむ陰門を持った女や雌を示したものという。)この借用で女の嬰児の性別を表示する。匕の左下の符号は女子の嬰児が大きくなって生育したことを示している。このため申の字は女の嬰児の意味で、また女が女を生み代々続く意味である。 人々はとうの昔にその形の深い意味を知らなくなっている。金文の申の字は字形の美形化と同時に、又その内容については失われてしまっている。小篆ではまさに上下の2個の指示符号いわゆる両手に変化している。楷書では誤りに誤りを重ね、又両手は合併され「申」と書くようになっている。
 「申」の本義は一種の期待と願望だ。即ち母系血縁に照らして、代々延々と続くことを呈示している。このことから引申はまっすぐ伸ばす、展開の意味になった。

「申」の嘱望、期待の意味から、又陳述、表白の意味が出てきた。

「比」は狭いすき間を置いて並ぶ、「屁」は狭いすき間から出るおなら

参考 指事語とは「中日大辞典」(愛知大学・大修館書店編)によると「形を模することができない抽象的概念を表すために符号を組み合わせる造字法」とある。

2015年5月26日火曜日

漢字:壺の起源と由来

漢字:の起源と由来
「壺」日本語では、訓読みでは“ツボ”と読み、音読みでは“コ”という。中国語・簡体字は「壶」で、読みでは«hu 2声»と読む。
引用 「汉字密码」(P680,唐汉,学林出版社)

 象形文字である。甲骨文の壺は上古時代の酒壺の形取ったものである。上部の大という字は壺のふたである。

  中ほどのひょうたん型のものは、壺の腹を指している。下部は壺の輪底である。 小篆もまた大体酒壺のもようで、楷書の壺の字は簡体字では象形の味を失って、完全に線状化、符号化してしまっているように見えるが、繁体字では、未だ壺のふくらみが残されているようで面白い。

 壺は古代にあっては主要な酒盛りの器であった。
 古代からの文献を見るに、壺は当時また水器に用いられた。《周礼·夏官·挈壶氏》「掌掌壶以令军井」とある。ここで言っているのは、挈壶氏は水つぼを提げる職掌だということだ。軍隊の為に井戸水のある処を指示したのだろう。



 尚、「字統」での解釈は、唐漢氏のものとほぼ同様であるが、祭祀用に用いた酒壺というニュアンスが若干強いように感じた。

2015年5月23日土曜日

漢字:鬲の起源と由来



引用 「汉字密码」(P679,唐汉,学林出版社)

読み方:(音)レキ (訓) かなえ
 「鬲」これは一種の民族的色彩の濃い炊事用具である。「鬲」字は象形文字で、甲骨文字ではまさにこの種の煮炊きする用具のデッサンである。下部に3本の足があり、袋状の腹と二つの耳を持っている。金文の「鬲」字は甲骨文字と大方似ている。小篆の形象を失っている。
 「鬲」は古代の陶製の炊事具からきている。丸い口と別れていない3足の足を持っている腹がある。鬲は今から6、7千年を隔てた新石器時代の華夏民族の重要な発明である。


 それは陶器のとがった底と容量不足の矛盾を巧妙に解決し、更に陶器を焼くときに底部の面積が大きすぎて窯の壁が癒着してかつ焼成が失敗するという難題を解決した。鬲の用途は鼎と相似である。これは一種の食物を煮炊きする炊事具である。
 すこぶるつたないデッサンで申し訳ないが、「鬲」とはこんなものだと概念的に理解していただくために提示した。まさに後の「鼎」である。実際はこの表面に、文様が施されている。
 上古社会で多く作られたものは陶製で、また陶鬲に倣って少数のものは青銅で作られた。
 「鬲」の字は多音多義語である。二通りの読み方があり、一つはこの煮炊きの容器の場合ともう一つは「隔てる」という意味で、それは火と水を隔てる噐の一種というところからきている。



 因みに白川静博士の説明は以下のようになっている。
かなえの類で、器腹は分当形(口切に足のふくらみをもっ形)をなし、足は中空の款足である。 [説文]に「鼎の属なり。・・・ 腹の交文と三足に象る」という。又(璽雅、釈器〕に、鼎の款足あるもの、これを鬲と謂ふ」とあり、款足の上部まで物を容れうるので、熱のあたる部分が大きく、器も分当形をなしている。

2015年5月15日金曜日

漢字:「郭」の起源と由来

 ヨーロッパにおける城の変遷も面白いものがある。古代の城は、どちらかと言うと山城に近く、城というより砦といったほうがよかったとも言われている。しかも、その当時の城は戦闘能力が重視されていたために、窓が少なく、居住区が狭かったとのこと。
 それが時代が下るにつれ次第に居住性が強調されるようになり、最後は○○宮殿と呼ばれるような豪華絢爛たるものが出現した。
 それにしても、今まで見た城の中で最も美しいと感じたのは、ヨーロッパではやはりあのドイツの「ノイシュヴァインシュタイン城」であり、日本の姫路城である。
 左の写真は、成都から九寨溝に向かう途中、四川省松潘というところにある成都から約200㎞北にある所に立ち寄った匈奴の城「松州」の城壁である。この城は、漢の時代の建築と思われる。



引用 「汉字密码」(P728,唐汉,学林出版社)

  郭は繁体字で「郭」と書く。原本は会意文字である。と甲骨文の金文の郭の字は造字の方法は「中、北、夜」の字と相似通っている。どれも元の事物とその影の合体したものである。図に示すごとく、この郭乃至午後4,5時の、城邑の中の高くて大きい建物のその影の連体図形である。
小篆の郭の字は美観と毛筆で書くときの都合から、まさに連結部分が裁断され、完全に象形の味わいが失われた。また意味を区別するために右辺に「邑」が付け加えられ、楷書は郭と書くようになった。
 郭の本義は表示時間の名詞である。本来高くて大きい建築物の影から来ている。後日表示時間の意味は逐次消失し、城外の郭を表示するようになった。

 筆者にはこの唐漢氏の説明はしっくり来ないところがある。これを鏡像とは捉えないでなぜ影とするのか。確かに、これを影としなければ、時間の概念が出てこないのは事実だが・・・。

2015年5月1日金曜日

漢字「旧」の起源と由来

前回「復」という漢字の起源と由来を調べた。これ東日本大震災から4年が経過し、「復興、復旧」がまだままならない前に、この震災に対する日本人の思いや衝撃や教訓が忘れ去られ、この未曾有の大事件についてもすでに風化しつつあるのではという危惧の念が人々の口に上ったことに触発されたからである。
 そして、復旧という漢字に当たってみることとし、まずは复の字について調べた。唐漢氏は神屋を祖先や霊が行き来することを表し白川博士は量器を打ち返すことの動作を表すというそれぞれの解釈の間には、かなりの開きがあるものの、還るということでは共通している。
 そこで今回は旧という漢字について調べ、2つの漢字があわさって如何なる意味を表すかについて考察した。

引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

旧は繁体字の「舊」(フルトリという)の簡体字である。舊は原本は一種の鳥の名称である。即ち、鶴鷹またカモメカラスともいう。甲骨文字では と書く。古代の先民たちはこの種の鳥を残忍で殺戮を好みいつもほかの鳥の巣に入り込み占領し、彼らの雛を食べると思っていた。
 甲骨、金文、篆書の中の舊の字はまさに一匹の毛と角の鳥が爪を伸ばし鳥の巣に侵入する形をしている。これは正に一匹の鳶(ミミズク)が巣を占領して、他の鳥の巣を壊している形状だ。旧の本義は鳶が鳥の巣に侵入し占領している様である。(これはいささか飛躍しているようにも思うが・・。)
 以降多く陳旧(すでに壊され無用になった巣の意味)を表示するのに用いられ、新と相対し、基本義は次第に消失した。 「詩・大雅・文王」のごとく、「周旧邦といえ、その命新しさを繋ぐ」この中の旧は即ち過去を表している。
 現代漢語の中の故旧(旧友)、旧書(古本)、懐旧(昔をしのぶ)など、その中の旧は、みな過去を表し、随分以前の意味である。
  現在日本では、「復旧」は元の状態に戻すことであり、「復興」は一度衰えたものが再び盛んになることまたは盛んにすることとしている。(大辞林)
 復興とは前の状態に戻すことではなく、衰えを盛んにすることで、前の状態に復することではない。復旧と復興ではその持つ意味合いはかなり異なってくる。即ち「復」の持つ意味が、違っていることになる。前の状態に復することと前の状態に復するのではなく、新しい状態にすることの全く相反する意味になっている。では、「復」の意味はいったい何なのだ?

漢字:「肉」の起源と由来

 2015年4月12日か13日ころのあるバラエティー番組で、「肉」という漢字について、「『内』という字に人と書いて、肉になる。肉なら当然人ではなく牛だろう。何でやねん」と叫んでいた。もちろんこれはお笑いの世界で、冗談の話であるが、本当のところはどうだろうと「肉」という漢字に当たってみた。
引用 「汉字密码」(P664、唐汉,学林出版社)


 「肉」これは象形文字である。甲骨文字の「肉」の字は肉の塊のデッサンである。金文と小篆の形状もまた肉の塊に源を発しており、中間の斜め横の線は、肉塊の上の肋骨を現す。楷書の肉の字は月の字の区分になっており、隷書化の過程での変異で、小篆とは、互いにはるかに相異なるものとなっている。既にいささかの肉塊の形も残していない。「肉」は動物の体の食べることのできる肌肉部分を指している。これから拡張して、野菜、瓜果物の可食部分を指す。例えば果肉、葉肉など。
 因みに白川博士も同じく、小篆は肉の塊だとしている。
 肉は部首字で漢字の中で凡そ肉の字を構成にしている字はみな肉と関係がある。後世にいたって肉の字と月の字は混同されて、全て「月」と書くようになった。このことから月と肉月は旁の分に成った。
 さらに、言葉の意味から区分が付け加えられ、「朗、期、腊、胧」など月明かりに関係のある字は月の字を構成に加えている。腸、肝、肚、腋、脸などの字の中の月はみな肉に関係を持っている。この字の旁は本来肉の字である。


 因みに「内」と「肉」とは漢字学的には全く関係がなく、「内」は日光が屋根の上の穴や窓から屋内に差し込んでいる様を表す象形文字である。「内」の本義は外から内へ入ることである。説文では内に入ることと解釈する。

2015年4月24日金曜日

漢字:「復」の起源と由来

漢字:「復」の起源と由来
引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

复この字は会意文字である。甲骨字の复の字の上半分は亚の字(「亜」についての詳しい説明参照)ないし上古の時代にあった前後の門が直通していた神屋を表している。下半分は上下反転した足跡を表しており、神屋を通り抜けあるいは通り過ごして出ていくことを表している。金文は行人偏が加わり、復という字ができた。その右半分は甲骨文字と構造的には同じである。但しその形は少し美しく見える。小篆の复の字はいわば変化が生じ、金文で加わったギョウニンベンが省略された。楷書ではまた変化し复の字になっている。
 この字については、白川静博士と解釈はかなり異なる。博士はものの量を図る例えば上下に口のある升のようなものに下半分の記号を加えて、反復を表すとしている。
 复の本義祖先の神々達が行き来することからきている。そこから派生して循環往復するの意味になっている。即ち帰ってくる、帰っていくの意味である。
 "復"と"复"の音は基本的に同じで、一つの漢字の繁簡2体を作ったとも見ることができる、漢字の簡単化の時統一して复と書くようにした。これに対し白川博士は量器を打ち返して(上下逆さにして?)使うことを表していたところから、ギョウニンベンを加えて行き来を表すようになったと説明している。

漢字「城」へ行く前に


日本の城と中国の城、ヨーロッパの城

先日改修されたばかりの姫路城へ行ってきた。天守閣の外壁や屋根には漆喰を施し、見る角度によっては本当に真っ白に見える。別名白鷺城とも呼ばれる。外国へも行って、色々の城も見てきたが、シンプルにして建物本来の美しさという点では、右に出るものはないと思う。歴史的には、1600年代の初頭、関ヶ原の合戦で手柄を立てた本多家が池田氏の後を引き継ぎ、大坂夏の陣で敗れた千姫を迎えるために、大改修を行っている。現在の天守閣や西の丸は当時のままの姿を留めている。
 さて、中国における城は日本のそれとは趣を異にしており、日本の城が城下町の要を構成したと言え、多くの民は城壁の外に置かれ、いわば支配者が守るべき対象にはなっていない。ところが中国といえば、どこに行っても非常に大きな城壁があり、民百姓はその城壁の中に居住していた。劉備が曹操との戦いに敗れた際も、劉備は民を引き連れ城郭都市の中に逃げ込んでいる。
 古代の漢字の解釈にしても、城は守護の意味を持つ造字で城堡の意味とされ、説文では「城は以て民を護る」としている。ここらあたりの受け止めの違いは、中国においては、外敵といえば民族も違い、まるっきりの敵として対峙しなければならなかったのに対し、日本では昔から敵と言っても、民族が異なることはなく、同じ顔をして、ほとんど同じ言葉を喋っていた言わば内的な関係であり、城壁の意味づけが全く異なっていたのかもしれない。


  むしろ日本では城塞というものがおよそ発達していない。外国から見れば驚くほど無防備で、オープンだったのではないだろうか。先日イタリアでも同じような感想を持った。イタリアは、古くから都市国家が発達し、都市は城壁に守られ、城壁と外部は濠と跳ね橋で遮断されていた。右の写真はイタリアのピサの城壁である。ここには跳ね橋は見当たらなかったが、高い城壁と城門で囲われていたのを思い出す。


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漢字:「城」の起源と由来

引用 「汉字密码」(P728,唐汉,学林出版社)

  「城」の字は会意文字である。金文で城の字の左辺は「郭」の字の古文体であり、高くて大きい建築物を表し、城都の中を見渡し、また城を護る角楼のように見える。右辺は古文で「戌」の字であり、柄の長い大きな斧の象形文字である。そして両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物を示している。 金文中の別の城の字は右半分の下辺に土を加えて、守護用の広大な土壁を強調している。小篆では変化の途中で角楼とその影響の合体図形がなくなり、又右半分の下辺の「土」が左辺に移動し、一個の土と成からなる会意兼形音文字となった。

 城は守護の意味を持つ造字で城堡の意味である。説文では「城は以て民を護る」としている。城壁から意味が拡張され、城壁を護る場所を示している。即ち城市である。「史記・孫子呉起列伝」では、魏の文候は呉起を以て将となし、秦を攻撃し、五城を奪取した。古文中、城、郭と同時に言うときは、城は内城を指し、郭は即ち外城を指す。城郭と連用するときは広く城市を指す。

2015年4月2日木曜日

漢字「亜」の起源と由来


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 日本では昔から、亜流とか亜種とか亜硫酸といった亜の付く言葉がある。この亜いう言葉はいずれも、「本物ではない、2流のあるいは何かが足りない」という意味を含んでいるときに用いられている。アジアやアフリカなど地名につく亞の場合には必ずしもこの意味を含んでいるとは思えないが・・。いずれにせよあまりいい意味には語感として受け止められていない。やはり「悪」という言葉の一部に部品として使われているのは大きい。のではないだろうか。
 さて、この「亜」について当たってみよう。


    「亜」この字は象形文字である。もともと殷商の時代に、喪葬の習俗と祭祀からきている。この時期は大きな墓は等しく南北に向けられていた。殷商民族を見てくると祖先や宗族の死後その霊魂は不滅で彼らは士族の住む土地を自由に行き来することができると信じられていた。
     このため殷商人は地上にその祖先や心霊の為に「明堂」(いわゆる墓)を修築するのである。即ち前後に相通じる長方形の神屋で祖宗の神霊が裏の門から自由に行き来できるようし、前門は末裔が行き来するようにした。

     骨文字の「亜」はまさにこの種の「神屋」の輪郭の描写である。金文と小篆の「亜」の字は一脈相通じるものがあり、楷書と繁体字の原本は「亞」と書く。漢字の簡単化の過程で「亚」と書くようになった。「亚」の字は神屋の説明の本義であるが、其れとともに風俗礼儀の改変は既に消失している。
     而して亚の字は「第2」あるいは「第1級」の評価を受け得るには保留する。例えば杜預は《左传•襄公十九年》の中で「亜」について「次」なりとしている。
    亜の中の図形文字

     亜の字は第二の解釈で現在まだ用いられて例えば優勝者(冠軍)に次ぐものを「亜軍」と便宜的に称しているというような使われ方もする。